小6女児殺害事件についての考察2

あるサイトでこの事件について述べられているのを読んだが、そこに「加害者の女児や“酒鬼薔薇”は頭が良かったからこそ他人から理解されなかった」みたいなことが書いてあった。そうか?俺はそうは思わない。頭がいい人間などどこにでもいる。問題は頭がいいことを他人に分からせるかそうしないかである。そのサイトでは加害者女児や酒鬼薔薇には「文才もあった」とも書かれていたが、俺はそれも違うと思う。彼らはただ正直だった。
思うに、俺たちが正直であることはかなりむずかしい。というか、俺たちは正直であることを制限されている。それは物心つく以前からはじまり、以降ずっとつづく。そのため俺たちは正直であることがどんなものであったか忘れているのである。真に正直でいられたのは赤ん坊の頃だけだったからだ。社会の中で生きていこうとすればそうせざるをえないからであるが、あまりにも欲求への制限がきびしすぎると、本能である攻撃性があらわれるだろう。それがストレスであり、ストレス発散ができないと、人や物を攻撃する。それが犯罪になったりいろいろなわけである。…だが、人や物を攻撃しなければどうなるのか。さらに恐ろしいことが起こる。人は自分自身を攻撃し始めるのである…。