vermilion::text 187階 シャドウ・レイン 3

marcus-k2004-07-05

                                                                                                        • -

連載です。
1.シャドウ・レイン1 http://d.hatena.ne.jp/marcus-k/20040520#p1
2.シャドウ・レイン2 http://d.hatena.ne.jp/marcus-k/20040521#p2

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なんだか水中を漂っているような気分で俺は「HOTEL」を出た。
なぜだろう、ここにいると、過去も未来もなくなり、現在、ただ現在だけが俺の記憶宮に
光を投げかけているような気がする。脳みそが麻痺していくような…。
とりあえず、近くをうろついてみることにする。
俺は水路のそばを、流れとは逆の方向へとあるきだした。水路の両側に隙間なく建つ
切妻屋根の家々は、どれも似た外観で、街灯の薄明かりに照らされて不気味な影
をつくっていた。俺はひどく不安になり、辺りを見回す。じっと耳を澄ます。
どこからか足音が聞こえ、遠ざかっていく。ひそひそ声。水路を、水が流れるひかえめ
な鈴の音。
「……」
俺は風に向き直って、また歩き出す。
スウィフトは一体どこにいるのか、それから、ここに俺をつれてきたのはなぜか…。
なぜ?…いや、むしろ、俺がどうしたいのかが問題なのじゃないか。
そのとき、俺は音楽を耳に感じた。
ギターだった。それから、歌。流れるような歌。
「 虹を忘れた鳥たちよ
  火の蜥蜴が緑青の鏡をしずかによこぎるとき
  はるかな地下都市で呪いの歌が
  ワタリガラスの黒に呪いの歌が … 」
か細くまっすぐに通る声だった。足を速めて行くと、最初はくらいシルエットとして、
堅く閉じられた扉の前の石段に座る人影が見えてきた。
俺が立ち止まると、彼は歌うのを止めた。白い傷のいくつもついたギターを持った
黒人の青年だった。
「邪魔しちゃったかな…」
と俺は言った。
「いいや、気にするな」
彼はまじめくさってそう言い、俺は石段の手すりに体をもたせかけた。
「さっきの、あんたのオリジナル?」
「…だったかな。忘れたよ。」
青年の答えは曖昧で、だが、うそをついているとかごまかしているとか、そういう
響きではなかった。
「おまえ、変わってるな」
と、彼がギターの弦を、まるで愛撫するように一本一本鳴らしてみせながら言った。
「なんで?」
「ほかの誰も俺に話しかけないからさ。…一度もね。」
「…なんで?」
「さあな。」
沈黙があった。ギターの音の余韻の沈黙。俺は言った。
「あの、あんたはどこから来たの?」
青年は、目を上げて、不思議そうに俺を見つめた。
「どこから来たとか、そんなことは、どうでもいいことだと思わないか?」
「…もちろん、そう思うよ。」
「では、なぜ聞くんだ…」
彼は微笑した。「“思うて、思わないすべを教えたまえ”…」
俺はまたあの、とろけるような感覚におそわれ、青年が再び囚われたようにギターを
弾き始めたので、会釈じみた動作をしてその場を離れた。
背中を歌が撫でる。
「 異国の少年は朝霧の化身
  時の上を駆ける風の精がかれをつれもどす
  残るも 残らないも
  水とネオンの光が かれを呼ぶことはもうない
  虹をわすれた鳥たちよ … 」