小6女児殺害事件についての考察

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040602-00000125-mai-soci
この事件について考える。


まずは手口に注目する。女児はカッターナイフで被害者・怜美さんの首などを切って殺害した。後の供述で、女児があらかじめ殺害方法を決め、カッターナイフを事前に用意した上で犯行に及んでいることがわかった。つまり、女児が怜美さんの殺害を決心してから、考え直す時間はあった。例えば俺が、「明日学校に行ったら必ずあいつを殴ってやる」と思ったとしても、翌日には真剣にそう思ったことが馬鹿らしくなっていたりするだろう。しかし女児は決心を持続させることができたのだ。しかも「友達を殺す」という決心を。それができる人間は日本中を探してもそういないに違いない。このことだけを考えても、女児がかなり危険な人物だと言うことができる。
そして犯行を犯した時間と場所だ。昼休み、校内の学習ルーム。長崎新聞の記事を見ればわかるが、この学習ルームは、女児と怜美さんの教室である6年生の教室とかなり近いところにある。ともすれば誰かに見つかってしまう可能性もある場所だ。そして、女児は犯行の後、自分の教室に戻っている。これは、計画が未熟であることを示している。女児は殺害方法について、3つの方法のうちどれにしようかと考えたあげくカッターナイフに決め、殺害場所と時間についてはあまり考えなかったのだ。もし、考えていたとしたら、校内で殺害するもっともらしい理由があれば、時間は放課後、場所は屋上や体育館の裏など見つかりにくい場所にしたはず。そしてさらに言うなら、校内よりも、林の中(某事件を思い出すが)や人気のない公園の草むらなどの方が安全だろう。しかし女児は、誰かに見つかってもおかしくない場所で犯行を犯し、その後自分の教室に「今人を殺してきました」と宣言するような格好で入って行ったのだ。これは、妄想が先走っていること、現実的な考えが全くなかったことを表しているように思う。女児が持っていたのは殺したいという意思だけで、その後自分や怜美さんがどうなるかなどは考えなかった、ということを。
また、女児の人格についてだが、佐世保署の取調べで「すまないことをした」と涙ぐんでいた、怜美さんに謝りたい、などと言っていたと報道されている。俺は人を殺して涙ぐみながら「すまないことをした」と謝る少女の姿を思い浮かべると寒気がする。「すまないことをした」と謝るだけ更生する可能性があるというむきもあるだろうが、俺は女児の殺人妄想は年を経るごとに強くなっていくような気がしてならない。
暇があるならカッターナイフを持って腹の立つ上司を殺すことを想像してみたらどうだろうか。それがいかにとんでもないことだかわかるはずだ。確かに俺たちは平和に飽きた。しかし殺人は、すべてのことから次元を異にする悲劇だということは忘れてはならない。