vermilion::text 187階 シャドウ・レイン 1 

夢の中でいくつもの階段を抜けてきたように思う。
気がつくと、俺はくねくね曲がる赤レンガの小道に立っていた。夜だ。水路が道の真ん中を
通っている。両側に建つ家々は、まるでおとぎ話のイラストにあるようなやつで、今にも倒れ
そうに傾いて建っている。
「ここはどこなんだ…」
独り言のつもりだったが、答える声があった。
「シャドウ・レイン。187階。」
スウィフトだった。かれは漆を塗ったような艶のある黒い毛皮の犬で、ただひとつ、まっすぐな
尻尾の先に、白い輪をはめたような模様がある。かれは不思議な、テレパシーのようなやり
かたで語りかける。俺はかれの声を耳で聞いているのか、頭の中で直接感じているのかわか
らない。
俺たちの傍を、とげの生えた奇妙な虫が歩いて通り過ぎた。
「ここはどこなんだ」
スウィフトは呆れたような表情をした。
「バーミリオン。無限と呼ばれる塔。」
「塔…。すると、あれは空じゃないのか。」
見上げると、濃い藍色がどこまでも広がっているように見える。
「ここは無数にあるうちの1階に過ぎない。」
スウィフトはあの独特のうんちく調で言う。「おれでさえ、すべての階に行き着けたわけじゃない。」
影小路(シャドウ・レイン)、俺はその名前に安心と不安を同時に感じ、船をつなぐ金属の杭
に寄りかかって、向こう側の店々のネオンが静かな水面に映っているのを眺めた。
「ここはいつでも夜だ。だからここには時計がない。いらないから。」
スウィフトは長い鼻を、「HOTEL」とだけ書かれたピンクに光るネオン板に向けた。
「ここに泊まる。」
スウィフトのあとについて木の扉を入るとき、豚の鼻をした犬の置物がまばたきをした。
俺は、驚くよりもむしろ、黄色の真鍮のランタンが俺の思考を溶かしているような、
そんな気がした。 ……