死刑執行に関する考察

イラクのこともあって、最近死について考えることが多くなった。たとえば死刑のこと。昔俺は死刑賛成派だった。なぜなら、何人も人を殺した殺人犯がいたとして、その人は残りの生涯のうちで、その罪をつぐないきれるはずがないと思っていたからだった。それならば死でつぐなうしかない、と。結局は、「目には目を、歯には歯を」という例のアレを信じていたことになる。しかし、一体、「つぐない」とはなんだろうか。どんな罪に対してどんな「つぐない」をすれば、罪をつぐなえたと言い切れるのか。言い切れるはずがないし、憎しみが消えるわけでもない。言い切れないから法律でそれを定めているのだ、と言う人もいるだろうが、実際に電気椅子のボタンを押す人なり、それをやれと命令するなりする人なりのことを考えてみたらどうか。処刑を楽しんでいる執行人がいたらそれは大問題だが、もし、楽しんでいないならばどうなのか。その人はなんの義務があって人を殺さなければならないのか。結局、人を殺すのは許せない、と言うなら、死刑も反対であるはずなのだ。人を殺すのが許せないから犯人には死を!死刑賛成!これは矛盾だ。でもこの矛盾が社会的に認知されることは少なくとも今までは、なかった。


参考:死刑年表:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/7136/nenpyo_open.html