なぜ猟奇殺人犯に惹かれるのか?

俺が猟奇殺人犯に興味を持ち始めたのは、ロバート・D・ヘアの「診断名サイコパス」(ISBN:4150502412)を読んだことがきっかけだった。この本は、サイコパスという病名で知られる人格異常者たちが犯す犯罪について書かれていた。(サイコパスとして有名なのはT・ハリスの小説に出てくるハンニバル・レクター博士だと思うが、彼は典型的なサイコパス像とは異なっている。)ジョン・ウェイン・ゲイシーエドモンド・ケンパーなどの連続殺人犯についても触れられていて、俺は彼らの信じられないような残虐さに惹かれたのだ。もちろん殺人なんて許せないし、自分自身や親しい人が被害にあった場合のことを考えると怖ろしい。しかしそれでもやはり彼らのこと、彼らがやったことのことをもっと知りたいと思ってしまうのだ。なぜだろうか?
たぶん、連続殺人関連の本だったと思うが、ある本に、それは「のぞき見趣味」的な楽しみによるとの解説があった。それは、安全な場所にいながら、猟奇殺人の現場にいるような気分になるのを楽しんでいるということだった。つまり、ホラー映画を観に行くのと似たようなものだと。俺はそれを読んでなるほどと思った。確かに、そういうところもあるかも知れない。しかし、それだけだろうか。
俺の意見はこうだ。「言論の自由」という言葉があるが、人は何かを言ったりしたりするとき、ある程度常識的な範囲を守っているものである。しかし実際にはどうか。誰しも一度ぐらいは誰かを「殺してやりたい」と思ったことがあるのではないか。そしてそれを実行にうつすことはない。だが殺人犯たちは実行にうつす。俺たちは彼らに、善悪を超越した精神の自由性を見ているのではないだろうか。人間はこんなことだってできる、と、普段の生活で窮屈に感じている俺たちは自分の中にある破壊衝動と殺人を重ね合わせているのだ。また、彼らと自分の共通点と相違点を探し出して、常識的な行動の均衡を取ろうとしているということもあるだろう。破壊衝動は誰にでもある。どんなに優しそうに見える人でも、どんな怖ろしい破壊衝動を隠しているのか分からない。気をつけろ!